記事No.215 へのコメントです。
全ての予選が終了し,グラスタに戻り「初めて一人でココまで来たー。」と云う柴田600@愛知さんと合流。北川応援幕の張り具合を調整する。宿を確保せずに取り合えず観戦に来たと云うγ乗りが電話帳で片っ端からあたっている間にバイク置き場に移動し「見てみて〜」と1年ぶりの再会を果たした某女史にRFと蒼リスを紹介していると,隣に置いてある92年式ZXR750Rが目に入った。「このリアのウイングっぽいのがスゲーかっこ良くてさー,ブルーとワインどっちも憧れたんだよねー。」と懐かしんでいた正にその時,信じられないモノが視界に入ってきたのである。
そこには今のデザインにはナイ,無骨なシルエット
そこに存在しているのが奇跡かと思う御初祖のような存在。
ヨシムラカラーのガンメタと赤のツートンに塗り分けられたそのカウルはカーボンの柄が確認,フロントフォークのアウターチューブには「ヨシムラ」のロゴ。
まさかまさかと思いつつもダブルクレドールの左側にはボンネビル1200のプレート,,,
「うそーん!!初めて見た!!実物なの?よう出来た偽物ちゃうん?でも実物見たコト無いからわからへん。」である。
600さんも当然知っている筈もなく,(何ソレ?スゴイの?というのがその場にいた人の共通の言葉であった。)取り合えずケータイで柴田900@愛知さんに画像を送ったものの「X-1じゃないの?」と返ってきた。
X-1なら見かけるやんけー!!と思いつつも自分も目の前のモノが本物のボンネビルなのか確認のしようがない。
いつか話のネタになるかも知れないとナンバーやシリアルを覚え,続いてタイヤがピレリ,ブレーキがブレンボレーシングになっているのも確認しておいた。
(そのいつかは翌日だったりするのだ。決勝日のピットウォークで阿修羅男爵を駆るS氏にナンバーやシリアルを伝えて聞いたところ本物だと判明。本物が未だこの世に存在しているのもスゴイが,そのコトをさらっと知っているS氏もスゴイ。)
ココまで読んでて「ボンネビルって何じゃ?何をそんな大騒ぎしてるの?」と思ってませんか?
未だ規制が厳しかった1990年,ヨシムラが当時もつ全ての技術をGSXR1100に投入し世に送り出したのがボンネビル1200。
発売時の価格が500万,車両は5台が制作され,販売されたのは2台とも3台とも言われる。
90年当時500万円,,,Z32やR32GT-R・セルシオ・シーマが買えるだけの金額で1台のバイクを買った人が居たのである。
現在ヨシムラが販売しましたと公言しているのは,
隼のヨシムラSPLとも云うべきX-1・GSXR1000SPLのS-1・1135R刀・モタードのM450Rと先日引き渡しが行われた零50である
現在,ドコをどうひっくり返してもボンネビルの名前は出てこない。
6月12日・茂木で行われたワークショップでの質疑応答で「アレは色んな規制の隙間を縫って発売したモノでして,,,」とフジオ社長が答えていたので知る人ぞ知る貴重なバイクである。
しかーもそのボンネビルのオーナー,シリアルナンバー01も持ってる(!!!)ってんだから笑うしかない。 [ この記事にコメントを返信する ] [ 原文引用 ]