記事No.123 へのコメントです。
午前中は仕事をこなしていたM部長は,滑り込みで予選に間に合い,まるで我々の為に取ってあったかの様にちょうどポッカリと空いたスペースに北川幕を取り付けたのであった。
それでは予選の醍醐味を思う存分に堪能した当日のメールを見てみよう。
14:26 M部長到着。
二回目にぎりぎり間に合いました。
14:36 山タツ北川イトシン
まだ午前を更新できません。
14:38 北川のサインボード
58秒1
14:39 北川ピットイン
前後交換 山タツも前後交換
14:40 辻村イトシンピットイン
前後交換 山タツまだ出ない。
14:43 柳川山タツえぐけい北川イトシン
出口1ヘアで転倒 救急車で運ばれる。
14:44 北川トップ浮上
まだ56秒には入らず
14:46 北川ピットイン
シートカウルの付け根辺りを触ってコースイン
14:53 北川57秒229
午後のタイムを上げたが午前のイトシンのタイムには及ばず。 北川山タツイトシン柳川エグケイ小西
15:29 予選B組
篤がイヅの午前にだしたレコードタイムを破りポールポジション。 二回目は篤イヅ大崎中富新垣民 総合が分かり次第連絡します。
16:16 JSB予選総合(暫定)
篤56秒829イヅ56秒841大崎57秒080イトシン57秒131中富57秒138北川57秒229山タツ57秒272柳川57秒397
篤とイヅが共にレコードタイム
以上です。
基本的にJSBの予選以外はメールを配信しなかった。
送信メール数が膨大であり,なおかつサーキット内での通話でバッテリーがヘロヘロだったのだ。
全ての予選が終了した夕方,北パドック?の芝生広場で昨年同様MYU主催のプチパーティーがあり高橋ユーキの音頭で乾杯をした。亀谷長純・小室旭も参加し明日に向けての意気込み等を語っていた。(JSBクラスのライダーはライダーミーティングの時間と云うコトで参加は無し。)
JSBライダー(と云うか北川圭一)が出てくるのを待っている間は,
篤サイト管理人と「ポールおめでとうございます。昨年もでしたね。決勝はアレでしたけど。」とか「うちなーヨシムラメットを勢いで購入してしまったけどモノが来んのが未だ先やねんけど入金だけ先ゆうねんでー,一個あたりの売り上げが2万円やとしても50個限定で100万やでー」とかカキコに堪えれないくだらない話をしていた。 (篤の車についても聞いてみたが,「本人は借りてるッテ言い張るんやけどねー。」だそうだ。)
夕暮れの中,北川圭一を発見してルマンでの走行が表紙になったライスポにサインを入れてもらったのだが,
舞い上がって「300kmお一人なんですって!?応援のしがいがありますよー。」と翌日の筑波の決勝など無視した会話をしてしまった。(300km編・投稿ナンバー121参照)
頂くモノは頂いたので安心してぶらぶらと散策・ライダーに顔を売り込んだ後,
M部長と夕食を共にすべくサーキットから南に走ったレストランに向かった。(昨年のレース終了後にイトシンとファンが食事会をしていたので何となくお店があるを覚えていた。)
M部長のサーキット仲間2人(名古屋在住)も一緒だったので茨木の地域情報やレースの話など一切せずにひたすら「あんかけスパ」や「コメダのシロノワール」・「マウンテンのかき氷」等コレを読んでいる人でも何人にヒットするのだろうと云う会話をして部長の洗脳を試みた。
女性だったので年末の東海呑み会に誘いつつ連絡先も交換しておいた。
実は予選終了後のパドックで我々は決勝レースの鍵を握るライダー・和泉美智夫(ST600クラスにJレーシングからR6で参戦)と接触していた。
彼は「シャチョー,8耐出ましょー。」と8耐の営業に励みながら「雨フレー!雨フレー!!」と空に向かって祈りを捧げていた。(おまえらもやらんかいと言われたが,天気を味方に付けるのもライダーの仕事だと思ったので,「えぇーっ」とつれなく返事をしておいた。) [ この記事にコメントを返信する ] [ 原文引用 ]